内容:
Boxing The Compass
孵化(ふか)待ち
海では華麗(かれい)なジャレッド・メル。だが陸(おか)での彼は?
さしずめ、ただいま準備中といったところだろうか。
文:ネイザン・マイヤース
ジャレッド・メルを襲うかずかずの不運。それを助けたのはアレックス・ノストだ。ジャレッドにとってじつの兄弟のような存在のアレックスは、シューゲイザー革命の黄金神、ミスフィット救世主とでもたとえられる、憧れの存在でもある親友だ。出会いはメルが14歳のとき。当時、ニューポートのブラッキーズを本拠地にしていたサーフチームのメンバーとハングアウトしたくて、アメフトの練習をサボったのがきっかけだった。
The Land of the Nauset
ノーセット族の地
ケープコッドでサーフィンするメリットとは…、風変わりなケープコッドのサーフィンライフ・ガイド。
文:イーサン・スチュワート
God and Ben
神さまとベン・アイパ
文:サム・ジョージ
本号最大、22ページにもおよぶ大特集が、サム・ジョージの手によるベン・アイパ・ストーリーだ。日本でも数多くのファンがいるシェーパー、ベン・アイパだが、いままでメディアでは断片的に取りあげられても、彼の業績に対して正当な評価を受けてこなかった。今回、ベン・アイパの出自(しゅつじ)から現在にいたるまで、すべての彼の業績について貴重な写真とともに語られている。今回のタイトルともなったその書き出しを紹介しよう。
2005年、ベサニー・ハミルトンはサメに襲われ左腕を失ったわずか24ヵ月後に、NSSA主催の全米選手権エクスプローラークラスで優勝を飾った。この再起の物語は、サーフィン史に残る偉業となる。ベサニーはカウアイ島出身のグーフィーフッターで、当時15歳。内気な彼女は、家族やそのほか大勢の友人にむけた優勝のスピーチで、簡潔にこう言った。
「神さまとベン・アイパに感謝します」
Tokyo Surfer’s Graffiti
東京サーフグラフィティ
文:トチ佐藤
‘70年代の東京。高度成長真っ只中の時代に、破天荒(はてんこう)な青春時代を駈けぬけたサーファーたちがいた。現在スノーボード界を中心にアクション・フォトグラファーとして活躍するトチ佐藤も、そんなサーファーたちのひとりだった。これは、そんなトチが自らの記憶を辿りながら記した、お洒落でやんちゃで、そしてちょっぴり恥ずかしい、東京サーファーたちのとっておきの物語だ。
Giving Slaps
殴りあう
絵:ロン・クロッチ
サーフシーンにおいて見かけるかずかずのトラブル、波の取りあいやサーファー同士のケンカを、ロン・クロッチが水彩画で再現した。
Racking Focus
望遠レンズの達人
マクギリバリー・フリーマン・フィルムの『フリー・アンド・イージー』や『忘れられたサントシャ島』など、かずかずのサーフィン映画シーンで、望遠レンズからとらえたスパイダー・ウィルスの研ぎすまされた映画撮影技術は、ハリウッドでも注目された。そして、今、デジタルが主流のサーフィン映画のなかにあっても、ラグナの重鎮スパイダーは、いまも自分の流儀にこだわり毅然(きぜん)と自らの興味を追究しつづけている。
文:ケビン・オサリバン
写真:アート・ブリューワー
Portfolio: Damien Poullenot
ポートフォリオ:ダミアン・プレノ
今号のポートフォリオはフランス版TSJで掲載されたフランスの写真家、ダミアン・プレノだ。彼はおなじフランスの写真家ローレン・マスレルとともに “アクアショット”という事務所を立ちあげた。フランスの『サーフ・セッション』誌の編集長ジュリアン・ローランドの言葉を借りると、ダミアンは「崇高で気高い海の中のワンシーンをキャプチャーし、高貴な芸術へと昇華した作品を見せてくれる」。ボディーボーダーでもある彼は、病的にヤバいリップの表情も記録してきた。
Form Ball Satori
バリのチューブマスター
地球上でもっともチューブに入った男、パブロ・ミラー。
インタビュー:レオ・マクザム
写真:ネイト・ローレンス
インドネシアでもっとも長いチューブを見下ろす丘の頂上をめざして歩いていく。地球上でもっともチューブに入った男、つまりは僕にとっての仏陀(ぶっだ)に会うためだ。4分の1世紀のあいだ、ただひたすらチューブを求め、なにもない海岸線で数か月間にわたるテント生活をいくども送ってきた。すべては、この奇蹟の海岸線にやってくるすばらしいうねりと戯(たわむ)れるため。ニルヴァーナと崩壊とが完璧なバランスを織りなす、青い地球の子宮の渦の中で過ごした、数え切れない深い瞑想(めいそう)の時間…。